十両編成の車両が、小気味良いリズムを奏でている。

「あー、いいなあ。この夕焼け。染みるわあ」

橙色の空が、そうつぶやく男の眼鏡に映える。受け取り手はいない。彼の傍らに立つ友人らしき男は、その太い眉ひとつ動かさず、けだるそうに吊革につかまっていた。
京王線に揺られるこの二人の男。彼らを仮に「腐れメガネ」「うなぎ眉毛」と呼ぼう。
二人は同じ大学の演劇サークルに所属する同輩で、貴重な大学四年間の一部を共有し、互いの長所も短所も知り尽くした間柄である。二人の最後の演劇活動となる卒業公演が、一週間後に迫っていた。
今日は、稽古の終わりに一人暮らしの腐れメガネの部屋で飲み明かすつもりだ。とはいえ、比較的酒に弱い腐れメガネは往々にして先にベッドで眠ってしまい、取り残されたうなぎ眉毛はかたい床で寝がえりを打ちつづけることとなる。そして、ようやくまどろんできた頃に計ったように腐れメガネが起きてきて、『おい、積もる話でもしようぜ』などとのたまう……幾度となく来訪したうなぎ眉毛には、そういう展開になることは分かり切っていた。

「三鷹台~、三鷹台で~す……」

冬隣りの冷たい空気が、ぴりりと肌を刺す。煌々と灯る街灯は、夜の訪れを意味していた。
コンビニで酒とつまみを一通り買いそろえ、二人は腐れメガネの城へと向かう。酸化鉄の外付け階段、二階建ての築云十年、城という名のアパート――――『コーポアカシア』。そこの205号室が、彼の聖域だ。奇妙な隣人たちに囲まれて、幸せとも不幸せともとれない生活を送っているらしい。

「いい夕焼けだなー。」

道中、腐れメガネがまたしてもつぶやいた。適度に無視していたうなぎ眉毛であったが、この時ちらりと空を見上げて違和感を覚える。

「赤すぎじゃね?」

そう、それは夕焼けではなかった。溶けたバターのような夕日が、オレンジの優しいグラデーションをかぶせる美しい空模様とは程遠い。とっくに太陽が出番を終えた暗黒の夜空を、立ち上るような紅蓮が乱暴に切り裂くばかりであった。

「あれ、ホントだ。どっか火事かなあ」「お前んちだったりして」

なわけねーだろ、と腐れメガネは笑った。
しかし、ほどなくして二人は気が付いてしまう。コーポアカシアに歩みを進めるほどに、空の赤みが増してゆくことに。まず、腐れメガネの足取りが速くなる。うなぎ眉毛が慌ててついてゆくと、けたたましいサイレン音に混じって、風の唸り声が確かに聞こえてきた。それと共に、むせかえるような熱気が五感を刺激する。腐れメガネが走る。

本来閑静であるはずの住宅街にふさわしくない人ごみの向こう側に、彼の城はあった。業火に身を包まれ、煙を噴き上げるその有様は、ある意味では夕焼けよりも美しいものであった。足元に人の輪をたたえているという点では、不格好なキャンプファイヤーにも見える。消防隊員が、必死の消火活動を行っていた。

「みなさん!危険ですからもっと下がって!下がってください!」
「すごーい写メっとこ」
「すごい火事ねぇ、放火かしら」
「それがねぇ、火の元は二階の205号室らしいのよ」
「タバコの火の不始末が原因らしいよ」
「住んでる人たちはどうなったのかしら」
「ほとんどは避難したらしいんだけど、まだ105号室の外人さんが……」

腐れメガネは、眺めていた。ただ、眺めていた。炎、サイレン、野次馬。場を満たすありとあらゆる音が、悪いと思いつつ笑ってしまったうなぎ眉毛の笑い声をかき消してくれた。

「Ohhhhhhhh!!! Ahhhhhhhhhhh!! Hot!! So hot!!! Shit!!!!!」
突如、かつての105号室から火だるまが転がり出てきた。

「わー!!消せ!早く消火しろ!!」
「Ohhhhh!! Fuck!! Hot!!! Very hot!!!!」
野次馬たちからも悲鳴が上がっている。一帯は阿鼻叫喚の大地獄と化していた。
すぐに消防隊員が、英語で絶叫する火だるまを消火する。中からは、すっかり浅黒い肌になった白人が現れた。

「だいじょうぶですか?Are you all right?」
「Ohh...yes」

腐れメガネの真下の部屋の住人であったその外国人は、しばらく火傷と精神的ショックに悶えていたが、腐れメガネがその視界に入ったとたん、まるで再び火がついたように絶叫した。

「TAKAGI I I I I I I I I I I I I I I I!!!!!!!!!SHINEEEEEEEEEEEEE!!!!!」

怒り狂う外国人に胸倉を掴まれ、腐れメガネは地面に固定したバネのように揺れる。弾き飛ばされたメガネが、アスファルトを二転三転して消えていった。目に涙を浮かべながら、壊れた猿のおもちゃのように笑ううなぎ眉毛。腐れメガネの瞳には、紅蓮のもとに崩れ去るコーポアカシアだけが映っていた。

それが、すべての終わりだった。

   コーポアカシア物語第一章『夕闇に燃ゆ』 完



次は、吉田麻美様!あなたに回します。
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